「ジョジョの奇妙な冒険」の読者の間で、解明されていない謎のひとつとしてしばしば語られるのが、「第四部 ダイヤモンドは砕けない」で主人公、東方仗助が10年前、幼児のころに出会った不良の正体についてだ。
10年前の雪深い日、高熱を発した仗助が母の運転する車で病院に向かう途中、大雪でスタックしてしまうが、通りがかった不良が手を貸してくれる。
不良の手助けで、仗助母子はスタックから抜け出すことができたものの、不良は名乗らずに去ってしまったため、その後の行方は分からなかったというものだ。
この不良のエピソードが意味深だったため、読者の間で謎として語られているのだが、この不良が作中に登場した役割について、本記事では考察していく。
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後のストーリーへの伏線ではなく、東方仗助というキャラの掘り下げ
10年前のエピソードで登場した不良は仗助と同じ髪型で、外見はまったく同じである。
(というより、その不良にあこがれて仗助が同じ外見にしている)
このあまりにそっくりな外見と、四部のラスボス・吉良吉影のスタンド・キラークイーンの能力が時間を過去に戻す能力だったことから、この不良が実は未来からやってきた仗助自身だったのでは、という説が、噂として語られるようになった。
しかし、仗助は過去に飛ぶことはなく、四部の物語は終了。
「不良=仗助」説は実現することはなかった。
(キラークイーンの能力も、戻す時間は一時間ほどだった)
結局、10年前の不良のエピソードは1回登場しただけで、その後のストーリーにはまったく登場することはなかった。
ということで、10年前の不良は後のストーリーに絡む伏線ではなく、主人公・東方仗助のキャラクターを掘り下げるためのエピソードであったと考えられる。
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10年前の不良が仗助では不都合な理由
さて、四部の連載はとっくに終了しているので、10年前の不良が伏線でなかったことは明白なのだが、ここではブログ管理人的に10年前の不良が仗助ではよろしくない理由を考えてみた。
10年前の不良が仗助にとって憧れのヒーローとなった理由は、雪まみれになりながら、不良にとって大事なシンボルともいえる学ランを犠牲にし、見知らぬ他人を助けたことだろう。
つまり、自己犠牲で他者のために行動する利他的行動が、仗助にとってヒーローと思えたのだ。
これが「不良=仗助」になってしまうと、不良の行動は利他的行動ではなく自分自身の生命を救うための利己的行動になってしまう。
これでは仗助というキャラクターの根幹がブレてしまう。
だから、10年前の不良の正体が仗助では不都合であったと考える。
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四部と五部には「人生の指針となるヒーロー」が必要だった理由
ここからは10年前の不良が、後のストーリーに絡んでこないのに、どうして必要だったのかを考えていく。
その理由は、東方仗助は積極的に悪と戦うキャラクターでなければならなかったからだと考える。
「第一部 ファントムブラッド」のジョナサン・ジョースター、「第二部 戦闘潮流」のジョセフ・ジョースター、「第三部 スターダストクルセイダース」の空条承太郎については、“ディオ・ブランドー”“石仮面”“吸血鬼”に深い因縁があり、戦う宿命にあった。
また、一部~三部の敵キャラ(三部はボスのみ)は、人間を食糧とする吸血鬼やその上位の“柱の男”なので、主人公個人の事情がなくても人類として戦うべき敵である。
その点、四部の敵は凶悪な能力を持っているものの単なる人間である。
加えて、警察官だった祖父・良平の遺志を継いでいるとはいえ、一介の高校生である仗助には、犯罪を犯すスタンド使いたちを取り締まる義務はない。
音石明がレッド・ホット・チリ・ペッパーで悪事を重ねようが、吉良吉影が友人・重ちーを爆殺しようが、仗助本人が「俺には別に関係ない」と言ってしまえばそれまでとなり、物語は進まなくなるのだ。
だからこそ、仗助が身体を張って積極的に悪と戦うキャラクターでなければならず、そのキャラの根幹には、他者のために自己犠牲をいとわず、正義を体現する「人生の指針となるヒーロー」が必要だったのではないかと考える。
同様のヒーローは、「第五部 黄金の風」のジョルノ・ジョバァーナにもいる。
彼が幼少期に出会ったギャングがそれだ。
ジョルノも、“涙目のルカ”に絡まれ、ブローノ・ブチャラティに襲撃されるまでは、本人の意思ではないが、それ以降のギャングの世界に飛び込み、組織のボスを倒そうとすることは本人の自由意思だ。
彼もまた、自分の意思で積極的に悪と戦うキャラクターだから、ヒーローが必要だったのだ。
仗助もジョルノも、自身が「不良」「ギャング」という通常は社会から疎外されるアウトローな属性を持つキャラクターである。
その「不良」「ギャング」が、世のため人のために戦うためには、確固とした正義感が必須だったのだと思う。
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六部と七部には「人生の指針となるヒーロー」が登場しない理由
続くシリーズの「第六部 ストーンオーシャン」の空条徐倫、「第七部 スティール・ボール・ラン」のジョニィ・ジョースターは、「人生の指針となるヒーロー」に幼少期に出会ってはいない。
徐倫もジョニィも、どちらも登場初期は精神的に未熟なところがあるが、ストーリーが進行し、激しい戦いの場に身を置く中で、次第にタフになっていくキャラクターである。
登場初期は未熟なキャラクターでなければならないため、「人生の指針となるヒーロー」は登場しなかったのだと思う。
考えてみれば、一部~五部の主人公は登場初期の状態から(ジョナサンについては青年になってから)物語の進行につれ、波紋やスタンドといった能力の成長は見られるが、精神的にはあまり成長は見られないように個人的には感じる。
荒木先生の中で、六部以降は主人公の成長を描いていきたいというコンセプトが生まれたのかもしれない。
そういった精神的に成長するキャラという意味で、空条徐倫、ジョニィ・ジョースターは五部までの主人公とはまた違った魅力のあるキャラクターなのだと思う。
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なお、「第八部 ジョジョリオン」の主人公・東方定助は記憶を失って、過去のないキャラクターなので、幼少期に「人生の指針となるキャラクター」に出会うシーンはない。
荒木先生の中で、また何か変わったのかもしれない。
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