【シン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みます】
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「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観ての考察というより雑記的な感想。
まず、見始めてすぐに、大人になった元・同級生たちが家庭を持ったり、仕事をするようになったりして、地に足をつけた生活をしているという描写がとても丁寧に描かれる。
この時点で、本作はエヴァの呪縛で”大人になれない主人公”が”大人になっていく物語”だと、作品のおおよその方向性が容易に分かるので、前作の「Q」のように、「これ、どこに向かっているの?」といった迷走感がなく、そういう意味でのストレスはなく観れたと思う。
さて、クライマックスでは、父・ゲンドウと息子・シンジの対決という実に分かりやすい構図になっていて、エヴァンゲリオンという作品のそもそもの根幹は、思春期の息子が父を越えていくといういわゆる”父殺し”の話なんだと改めて気づかされた。
神話とギリシア悲劇からみる「父殺し」の普遍性 (2015年6月27日) - エキサイトニュース (excite.co.jp)
で、この”父”と”息子”の対決で、”息子”の味方になるのが、”母”と”息子の恋人(になりうる女)”であり、この”母”と”息子の恋人”の役割が振られたのが、ミサトさんとマリだった。
だからこそ、ミサトさんはテレビ版のように”年の離れたお姉さん”ではなく、本作では”14歳の少年の母”でなければならなかったのだと思う。
そして、本項で触れたいマリの役割である。
かねてから、マリという新劇場版から登場した新キャラの役割が良く分からなかったのだ。
マリというキャラクターに魅力がないとはいわないが、大ヒットしてイメージの定着したテレビ版のメンバーのバランスを崩してまで入れる意味が見いだせなかった。
だが、今回の劇場版を観て、その疑問が氷解した。
”息子の恋人”として、シンジの背中を押し、外から手を差し伸べるキャラが必要だったのだ。
実母のクローンであるレイでは”息子の恋人”になれないし、アスカは”息子の恋人”だけなら充分だが、アスカはシンジと同じくエヴァの”大人になれない”呪縛で、思春期の悩みを抱えていて、ラストはシンジと一緒に”救われるべき”側のキャラなので、”手を差し伸べる”側の”息子の恋人”役としては不適当だ。
だからこそ、”手を差し伸べる”側の”息子の恋人”役としてマリが必要だったのだ。
そういう視点で思い返せば、同じエヴァ・パイロットなのに、マリには悩みや弱みを見せるシーンがないように思う。
それは、シンジに”救われる”側ではなく、”手を差し伸べる”側だったからだ。
というワケで、10年以上かかって、マリというキャラの役割がようやく腑に落ちたのだった。
この新劇場版のシリーズは、このラストの構図に向かうために、一から作り直された作品なのだと思った。
テレビ版が放映されたとき、シンジたちより一つ年上だったブログ管理人だが、本作を観て、失敗したところだけを見て、「自分はダメだ」と思ってイジケて何もしなくなってしまうのはガキのすることなので、ちゃんとした大人にならなければならないな、と個人的に自戒するのだった。
シンジも大人になったことだし、いい加減に。