「サマータイムレンダ」は主人公がタイムループを繰り返しながら「影」と戦う物語
「サマータイムレンダ」は、田中靖規先生が少年ジャンプ+で2017年~2021年に連載した作品である。
主人公の少年・網代慎平が、故郷の島に古くからいる謎の存在「影」から、島民と家族を守るべく戦う物語だ。
慎平には戦闘のための特殊能力はないが、突如、タイムループの能力が使えるようになり、何度も失敗を繰り返しながら「影」に挑んでいく。
この「サマータイムレンダ」を通して、田中先生の師匠に当たる荒木飛呂彦先生から引き継がれる「荒木イズム」について考えていこうと思う。
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師匠の荒木飛呂彦もジョジョ4部でタイムループを描いた
田中先生は荒木飛呂彦先生のアシスタントをしていたのだが、師匠の荒木先生も「ジョジョの奇妙な冒険」の第4部「ダイヤモンドは砕けない」で、少年がタイムループする話を描いている。
杜王町に潜む連続殺人鬼・吉良吉影は、主人公・東方仗助たちにその正体を知られ、追い詰められた挙句、赤の他人の川尻浩作に成りすます。
吉良は仗助たちの追跡を逃れるため、川尻の息子・早人にスタンド能力「キラークイーン バイツァ・ダスト」を仕掛ける。
「バイツァ・ダスト」は、吉良を追って早人に近づいた者を自動的に爆殺。
爆殺すると時間が一時間ほど過去に巻き戻り、早人と追跡者が接触した事実さえも消し去る能力だ。
早人は、この「バイツァ・ダスト」を仕掛けられたことにより、何度もタイムループを繰り返し、自分に近づいてくる者が次々殺される光景に苦しむことになり、遂には吉良と戦うことを決意する。
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主人公がタイムループ能力を持つ場合、制限が必要
さて、主人公(「ジョジョ」の早人は正しくは主人公ではないが)がタイムループによって敵に挑んでいく両作品だが、このように主人公側がループ能力を持った場合、敵とのパワーバランスの設定に慎重でなければならない。
主人公が何度もループできるのであれば、何回もコンティニューできるゲームのように難易度が下がってしまうからだ。
そこで、主人公側のタイムループには制限が必要になってくる。
「サマータイムレンダ」の場合、ループをする度、ループの再開地点が後ろにズレていくので、実質的には回数制限が設けられていることになる。
また、ループが発動する条件にも覚悟がいるため、気軽には実行できない。
「ジョジョ」の「バイツァ・ダスト」の場合、他人が爆殺されることが発動の条件となるので、こちらも安易にループすることができなくなっている。
また、敵とのパワーバランスも主人公側が不利な状態になっている。
「ジョジョ」の登場人物はスタンドと呼ばれる超能力を持っているのだが、早人はスタンド能力を有していない上、小学生なので知能も体力もそれほど高くない。
さらに「バイツァ・ダスト」の性質上、他者に助けを求めることができないという縛りもある。
「サマータイムレンダ」の場合、敵の「影」側に比べて、主人公側の戦力が乏しく、読者としては途中まで読んでいて、主人公が百回ループできても勝利できそうに思えない絶望的な戦力差を感じることになる。
このループ能力の制限とパワーバランスの設定の仕方は、荒木先生の作品から受け継がれているのではないかと想像する。
ちなみに、田中先生の初めての連載作品「瞳のカトブレパス」の主人公が持っているのは時間停止能力で、こちらも「ジョジョ」の影響を受けている印象がある。
とはいえ、「ジョジョ」の時間停止能力は自分以外のすべての時間が停止しているのに対し、「カトブレパス」は、視線を送った一部の物だけの時間を停止させるので、同じではない。
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三部けいの「僕だけがいない街」もタイムループもの
田中先生と同じく、荒木先生の元でアシスタントをしていた三部けい先生の「僕だけがいない街」もタイムループものである。
「僕だけがいない街」は、うだつの上がらない漫画家の主人公が、「再上映(リバイバル)」と自身で呼ぶ能力で、小学生時代に戻り、連続誘拐殺人犯の手から犠牲になる同級生たちを守る物語だ。
こちらも、ループ能力の制限と主人公側の不利な条件があり、「再上映」のループ能力の発動は自身でコントロールできず、主人公は小学生なので行動が制限されている(某探偵マンガのように頭脳だけは大人だが)。
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「僕だけがいない街」と「ストーンオーシャン」のラストの共通点
この「僕だけがいない街」も、やはり「ジョジョ」の影響を強く受けていると思われる。
上述の通り、“力のない小学生の少年が、タイムループのアドバンテージを利用して、大人の連続殺人鬼に挑む”という設定が同じなのも、その根拠のひとつだが、ラストシーンにも「ジョジョ」の影響が感じられるのだ。
「僕だけがいない街」との共通項を感じるのは、「ジョジョ」の第6部「ストーンオーシャン」のラストだ。
ネタバレになるので詳細を記すことは避けるが、「僕だけがいない街」でも「ストーンオーシャン」でも、前の世界線では共闘していた仲間と新しい世界線では(あまり)共闘しない形になる。
仲間と共闘しない世界線のままで戦いが終わったにも関わらず、ラストでその仲間と引かれ合うという流れが同じなのだ。
この“たとえ世界が変わっても、人と人とが引かれ合う引力が存在する”というのが、三部先生にも受け継がれた「荒木イズム」の一環なのではないか、と思うのだ。
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「吐き気を催す邪悪」に対し不屈の「黄金の精神」で挑む主人公
本ブログ記事では、「サマータイムレンダ」「ジョジョの奇妙な冒険」「僕だけがいない街」と、タイムループが出てくる三作品について見てきた。
三作品に共通するのが、少年が過去に戻ってやり直しすることで敵と戦うタイムループものであることだ。
しかし、共通するのはその設定だけではないと思う。
三作品の少年たちは、いずれも自分の意志とは関係なく絶望的な状況に巻き込まれ、敵と戦わざるを得ない立場に置かれてしまう。
だが、絶望的な状況で何度か失敗をしながらも、あきらめない不屈の「黄金の精神」で「吐き気を催す邪悪」に何度も挑んでいく。
設定だけでなく、この精神こそが「荒木イズム」なのではと考える。
「サマータイムレンダ」「ジョジョの奇妙な冒険」「僕だけがいない街」を読み比べると、今回挙げた以外の共通点も見つかるかもしれない。
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