【経緯】
全日本ユースの代表に一時は選出されるも、辞退。
チームを離脱して、Jリーグの横浜フリューゲルス(1998年に横浜マリノスと合併し、現在は横浜F・マリノス)に入団。
全日本ユースと袂を分かつも、アジアユース選手権の決勝トーナメント直前に電撃復帰。
アジアユース選手権の優勝に貢献した。
さて、上記に経緯を記したが、若島津の電撃復帰するに至った心境の変化が、いまいち分からない。
そこで、若島津が心変わりをした理由をブログ管理人なりに考えてみた。
まず、そもそもの代表を辞退した理由についてだけど、こちらは本人の口から語られており、見上監督の若林源三のかませ犬的な起用法に納得がいかなかったためである。
若林と若島津は小学生時代に一度対戦しており、その際には若林を擁する南葛SCに敗北している。(一度目の南葛SCvs明和FC戦では明和FCが勝利しているが、若林も若島津も故障によりベンチに入っていない)
若林は、南葛SCで全国優勝後、西ドイツ(当時)に。
中学~高校時代には、若林のいない日本で、若島津は世代No.1キーパーの座に。
高校時代には、正GKとして東邦学園のV3に貢献した。
フランス国際Jr.ユースで、若林と若島津は同じチームになるも、若林はチームのコーチ役に徹する方針にしていたため、ゴールマウスを守ったのは決勝の西ドイツJr.ユース戦のみ。
その西ドイツJr.ユース戦についても、若島津は準決勝のフランスJr.ユース戦で腕を負傷していたので、どちらがゴールマウスを守るかで争うことはなかった。
そして、全日本ユースでは、見上監督(当時)は若林をチームの正GKと考え、アジアユースは若島津で乗り切り、ワールドユース本戦は若林を起用する方針を若島津に伝えたところ、若島津は「あれは若林源三のかませ犬じゃないんだ‼」と激怒し、瓦割りの要領で見上監督の机を正拳で粉砕。
代表辞退に至った。
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若島津の意見はもっともだ。
自他ともに認める高校No.1キーパーなのに、ドイツでプロとしてプレーしている事実だけで、若林の方が実力が上と評価されては、プライドを傷つけられて当然である。
それでは、チームを離脱してからの若島津に心境をもたらしたであろう描写をみていく。
①.東邦学園トリオ(日向、反町、タケシ)に説得される。
合宿を出ていこうとする若島津に、若林の予選からの参加が難しいなどの理由で説得を試みるが、「そんなことは おれの知ったこっちゃねぇ」と決別。
この時点では、代表に戻る気はなかったと思われる。
②.チャイニーズ・タイペイ戦をこっそり見に来る。
5月にも関わらず、怪しげなロングコート、サングラス、帽子の変装で全日本ユースの試合を見に来る。
そして、変装したのに、あっさり片桐さんに正体を見破られ、若島津もメンバー登録されていることを告げられる。
若島津の表情もあまり描かれておらず、心情も語られていないが、ちょっと代表に未練がありそうな印象に思える。
③.タイユース戦を見に来て、全日本ユースのピンチに駆けつけようとする
片桐さんから選手登録されていると告げられたことを思い出し、キーパーグローブを持ってグラウンドに向かおうとするも、ドイツにいるはずの若林の登場で思いとどまる。
この時点で、もう復帰する気まんまんに見える。
④.母の見舞いのため帰国した日向に会い説得される。
日向の母が頭を打って入院したため、ジャカルタから一時帰国した日向の元を訪れる。
日向の母の入院費を、横浜フリューゲルスの契約金で立て替えることの提案という名目で、日向母の病院に来ていたのだけど、タイユース戦でもう復帰する気でいたので、なんだか日向に「戻ってこい」と言ってもらいたくて、病院に来てたようにしか思えない。
さて、④の日向の説得で全日本ユースに電撃復帰した若島津だったが、結局ワールドユースの決勝トーナメントでゴールマウスを守ったのは、若林の方。
あれだけ揉めた挙句、若島津は若林の噛ませ犬の二番手キーパーに落ち着いてしまったのである。
若島津は、アジアユースの準決勝と決勝の活躍で、大会最優秀GKに選ばれて満足してしまったのか、その後はとても優等生に変わってしまう。
ワールドユース決勝トーナメントの準々決勝スウェーデン戦の前には、
「どっちのGKをつかうかは監督が決めること」と物分かりの良い発言、
スウェーデン戦のハーフタイムでは、
「おまえのかわりに出なきゃならなくなった時には(以下略)」と控えキーパーとして、若林を鼓舞する発言と
大会前には、監督の机を正拳で叩き割った、あの荒ぶる空手ヤロウはどこに行ったのか、牙の抜けた良い子ちゃんになってしまっている……
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と、こうして若島津の動向を見てみると、
「もう出ていく」とダメ恋人の元を勢いで飛び出したものの、
「やっぱり私が、あの人のお世話をしなきゃダメなのね……」と、相手は何も変わっていないのに、元サヤに戻ってしまうことを繰り替えしてしまう人のようにしか思えない。
若島津が復帰する前に、昔の恩師の吉良監督と会ったり、空手の教えから初心を思い出したりとか、フリューゲルスの先輩に諭されるとか、復帰のきっかけになるイベントがあれば良かったのだけど、そういうイベントがなかったので、勝手に出ていって、勝手に心変わりして戻ってきたような印象になってしまっているのだ。
そして、せめて若林の腕が完治したスウェーデン戦の前に、チーム内でPK対決をするとかして、どちらがキーパーとして上か優劣をつけて欲しかった。
そうすれば、ワールドユースの決勝トーナメントだけの話ではなく、後のシリーズでの若島津のFW転向も自然な流れになれたのに。
ワールドユース編のストーリー自体が、全体的に駆け足な展開だったため、もしかしたら本当は、高橋先生も若島津のストーリーをもっと掘り下げる予定だったのかもしれないけど、つくづく残念である。
さて、アジアユース選手権は全日本ユースの全勝優勝で幕を閉じたが、ワールドユース開催予定地のブルンガ共和国で内戦が勃発。
次回は、ワールドユース日本開催を成し遂げた片桐さんについて。