「サムライ8 八丸伝」の連載が終了した。
「NARUTO」の岸本斉史先生の新作として、街中に大々的なポスター戦略をしたり、初版の単行本を大量に出して店頭で平積みにしたりと大きく期待されていたのに、残念である。
「サムライ8 八丸伝」が連載継続できなった原因は、いくつか挙げられるが、大きな要因としては、作中の専門用語の難解な設定の説明が多すぎたことではないかと思われる。
実際、SFが用語の点で、とっつきにくいことは岸本先生ご自身も連載前のインタビューで認めている。
SFマンガがこれまでも挑戦されてきたが、そのほとんどがヒットすることなく、短命に終わっている。
個人的には、戸田尚伸先生の「惑星をつぐ者」という作品が好きである。
人類が滅びゆく寸前という緊張感のある設定、かつての仲間を復讐のために主人公が追いかける王道のストーリー、孤独な影のある主人公の魅力、主人公の必殺武器「自在剣(スパイラル・ナイフ)」のカッコよさ、第1話は灼熱の星、2話は極寒の星、3話は宇宙空間を進む宇宙船の中と舞台が次々変わるテンポの良さ、と良いところはあるのに、残念ながら1巻のみで終了してしまった作品である。
しかし、難解な設定が必要なのはSFマンガに限らない。
「NARUTO」にしたって、「五大国と忍びの里の関係は?」「チャクラとは?」「血継限界とは?」「上忍・中忍・下忍のランクとは?」「暁とは?」「尾獣とは?」「無限月読とは?」と、読者に説明が必要な設定が山盛りである。
なのに、SFマンガだけが読者の「設定アレルギー」を引き起こすのは不思議である。
思うに、SFの設定は現実の物理学や機械工学などの延長にあるからではないかと思う。
例えば、魔法の設定が他の作品や文献などと合わない矛盾を生じたとしても、「いや、このマンガの世界での魔法は他のと違うから」と開き直れるが、SFは「ここが理論的におかしい」と突っ込まれると反論できないため、設定をガチガチに固める必要があるのだと思うのだ。
さて、ここまでSFマンガでは、難解な設定の説明が必要と述べてきたが、SFマンガで数少ないヒット作の寺沢武一先生の「COBRA」を見ることで、本当に難解な設定の説明が必要なのかを見ていこう。
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「COBRA」の第1話は、金持ちが自家用宇宙船で惑星間旅行を楽しむ時代に、ポンコツ家事ロボットと暮らす冴えない貿易会社のサラリーマン・ジョンソンが、自身の境遇を嘆くところから始まる。
ここで重要なのが、マンガの舞台が読者の暮らす現代日本でないことは分かるのだが、細かい説明はないことである。
はるか未来の地球の話かもしれないし、地球とはまるで違う遠い銀河の話かもしれないのだが、冒頭にその説明はない。
更には、「かつて宇宙を駆ける一匹狼の伝説的海賊コブラがいたが、その行方は今は誰も知らない」という物語に必要な導入もない。
コブラの代名詞的な武器のサイコガンについての説明もない。
つまり、色々な説明をしないで本編が始まるのである。
結果、「COBRA」はヒットし、連載開始から40年が経っても新作が作られている。
宇宙が舞台のSFだろうが、剣と魔法のファンタジー世界だろうが、読者はその設定が読みたいのではなく、魅力的な主人公が活躍する様が読みたいのだ。
どんな設定の舞台であっても、左腕にサイコガンを備えたタフでクールでウィットにとんだジョークを飛ばす主人公がそこに居れば、そこは「COBRA」の世界なのだ。
設定はあくまでも、主人公の物語の舞台装置でしかないのだから、その全てを長々と説明する必要はないのではないかと思う。
いつかSFマンガでもヒット作が生まれることを願う。